上用賀名主邸について
本建物は、表門にある「旧用賀名主邸」の石標(世田谷区玉川総支社設置)の通り、江戸時代後期に用賀村名主を勤めた飯田安之丞、遡る18世紀中頃(元文時代) 彦根藩世田谷領の代官を勤めた飯田平兵衛の旧家です。初代の飯田図書吉慶は16世紀(永禄元亀時代)に小田原北条氏の命により、当地用賀の開発を行いました。
当家の造りは昭和30年ごろに内外装の改修を受けて、平成18年まで住居として使われていましたが、骨格となる柱や梁は、1780年頃に建設された当時のものがそのまま使用されており、およそ240年前の建築となります。
また縁側の正面に位置する松は、建物よりさらに古く樹齢300年以上と推定されています。
現在は世田谷区の郷土資料として歴史研究の対象となっているほか、庭の樹木は世田谷区の保存樹林地に指定されています。また、テレビ、映画、雑誌などのロケーションスタジオとして、幅広く活用されています。